〈藤堂高虎〉秀長家の断絶で出家した

文禄4年(1595)秀保が早世し大和大納言家が断絶すると、高虎は出家して高野山に上った。『公室年譜略』等に一貫して見え、直後の宇和島拝領という結果からも裏付けられる。禄を追うだけの男なら主家断絶はむしろ好機であり、「変節漢」像への最大の反証。生涯、秀長の菩提を弔い続けた。出家を「再仕官への計算された演出」とみる説もあるが、秀長家への20年の勤続は動かない。

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