〈平野長泰〉田原本を「陣屋町」として育てた
田原本とその周辺計5000石は文禄4年(1595)から明治維新まで約270年間、一貫して平野家の知行地だった。寺内町・環濠集落として栄えた町場の整備は平野氏の統治下で進んだ(本格的な陣屋築造は2代長勝の代)。ただし長泰自身は江戸・駿府勤めが基本で、領地経営の実務がどこまで長泰個人の手によるかは判然としない。
田原本とその周辺計5000石は文禄4年(1595)から明治維新まで約270年間、一貫して平野家の知行地だった。寺内町・環濠集落として栄えた町場の整備は平野氏の統治下で進んだ(本格的な陣屋築造は2代長勝の代)。ただし長泰自身は江戸・駿府勤めが基本で、領地経営の実務がどこまで長泰個人の手によるかは判然としない。