〈福島正則〉改易は「一国一城令違反」ではない

元和5年(1619)の改易の直接の名目は、武家諸法度第6条(居城の修補も必ず言上すべし)違反であり、世間で混同されがちな一国一城令とは別の法令である。正則側は届出を行ったが回答があいまいなまま修理を進め、いったん「本丸以外の破却」を条件に赦免の方向となったものの、破却が不十分とされ秀忠の怒りを買った——という二段階の経緯が諸記録から復元される。「本多正純が届出を握りつぶした」「幕府が最初から潰す気だった」は諸説の域を出ないが、家康死後に庇護者を失った豊臣恩顧の最大大名が見せしめ的に狙われたとする見方は有力である。

関連

〈福島正則〉改易は「一国一城令違反」ではない | デジタル城下町 お城図鑑