〈福島正則〉広島49万8000石の統治は有能だった

慶長6年(1601)秋までに領内総検地を実施し、西国街道を城下中心部へ引き入れて町人町を拡大、東西2か所に市を立てて商業を振興。太田川の洪水に備え城外周の堤防を対岸より高く築いた。実質石高は毛利期の約40万石余から51万石余へ増加したと評価される(広島城・広島市の藩政史解説)。一方で厳しい年貢取り立ての指摘もあり、「聖人化」も行き過ぎ——武断と実務を兼ねた大名とみるのが穏当。

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