〈滝川一益〉賤ヶ岳の戦いで柴田勝家方についた

天正11年(1583)正月の挙兵、長島籠城、7月降伏は史実。理由は、清須会議後に求めた遺領再配分を拒まれ復権の道を絶たれたため(柴裕之ら)、信孝・勝家の織田家嫡流擁護路線への共感、秀吉への対抗意識など諸説あり、決定的史料はない。7万近い大軍を相手に持ちこたえた粘りは軍歴の掉尾を飾る奮戦である。

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