〈内藤昌豊〉名族・内藤家の名跡を継いだ
永禄12年(1569)8月の文書で「内藤修理亮」を名乗ることが確認され、断絶していた武田譜代の名族・内藤氏を継承したと考えられる。工藤家の家督は兄・昌祐が継いだ。改姓の理由は史料に明記されず、「箕輪城代就任に伴う格上げ」説は改姓が着任より先行するため確定的ではない。
永禄12年(1569)8月の文書で「内藤修理亮」を名乗ることが確認され、断絶していた武田譜代の名族・内藤氏を継承したと考えられる。工藤家の家督は兄・昌祐が継いだ。改姓の理由は史料に明記されず、「箕輪城代就任に伴う格上げ」説は改姓が着任より先行するため確定的ではない。