〈内藤昌豊〉実名は「昌豊」ではなく「昌秀」

永禄10年(1567)8月の文書に「工藤源左衛門尉昌秀」と署名。一次史料に「昌豊」という署名は存在しない。1977年に服部治則氏が指摘し、現在の学術文献は「昌秀」で統一。「昌豊」は『甲陽軍鑑』・江戸期系図の伝称で、父「虎豊」との整合を意識した後世の造名の可能性がある。名前自体が軍鑑依存という、この人物の史料状況を象徴する事実。

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