〈尼子経久〉三男・塩冶興久の大反乱

享禄3年(1530)〜天文3年(1534)。陶興房の同時代書状などで確認できる確実な史実。興久は出雲大社・鰐淵寺・三沢氏・備後山内氏を糾合し、経久側の攻撃を複数回退けた。敗れた興久は甲山城で自害。父子相剋という経久最大の家庭的悲劇である。

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