〈佐竹義宣〉転封先を知らされないまま国替えを命じられた

慶長7年5月8日の国替え命令時、転封先も石高も未告知だったことは、義宣が家老和田昭為に宛てた書状(小身の給人は連れて行けない、と述べる)で確認できる。秋田と決まったのは5月17日。処分が遅れた理由は密約発覚説・島津処分先行説・地政学説などが並立する【諸説】。

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