〈武田勝頼〉「甲州崩れ」——わずか1ヶ月の滅亡

織田軍侵攻(1582年2月)から滅亡(3月11日)まで約1ヶ月、組織的抵抗はほぼ皆無(例外は仁科盛信の高遠城)。近年の研究は、高天神城見殺しによる「勝頼は後詰しない」という国人衆の確信、朝敵指名、浅間山噴火(2月14日)がもたらした「天に見放された」という恐怖、一門級の連鎖離反、軍役・課税への疲弊の複合と分析する。「無能だから見捨てられた」のではなく、威信崩壊・情報戦・天変への恐怖・構造疲労の複合崩壊だった。

関連