〈島津貴久〉布教許可からわずか1年で禁教に転じた

寺社勢力・国人衆の反発に加え、期待したポルトガル船の来航(交易利益)が平戸方面に向かったため、貴久は布教を禁じた。許可が信仰上の共感ではなく南蛮貿易への期待という実利に基づいていたことは、この転換の速さからも読み取れる。ザビエルは1550年に薩摩を去った。

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