〈斎藤義龍〉足利一門「一色氏」に改姓した

永禄2年(1559)8月、幕府から一色氏家督を認められた事実は幕府関係史料で確実(初出研究は木下聡「斎藤義龍の一色改姓について」2007)。意図は諸説あるが、頼芸存命中に「土岐」は名乗れず、管領家ほど不相応でもない「ちょうどよい名家」を選んだ家格戦略説が主流。父殺しの汚名を薄め、土岐支配の正統性を相対化する効果もあった。

関連

〈斎藤義龍〉足利一門「一色氏」に改姓した | デジタル城下町 お城図鑑