〈斎藤義龍〉弟二人を誘殺し、長良川で父を討った

弘治元年(1555)の孫四郎・喜平次殺害と、翌年の長良川合戦・道三敗死は同時代史料からも確実。初出は『信長公記』首巻。ただし「酒に酔わせてから斬った」等の演出的細部は裏付けがなく、勝俣鎮夫氏は合戦自体を「家臣団に追放された道三の家督奪還戦」と再解釈する。国人の大半が義龍側に立った兵力差(伝1万7500対2700余)がそれを裏付ける。

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