〈長宗我部元親〉兄二人を差し置いた盛親継承

四男・盛親の後継指名が次男・親和、三男・親忠を差し置いた異例の決定で、家中に深刻な亀裂を残したことは史実。「信親の娘を盛親に娶らせて血統を残すため」という説明は軍記由来で確証はない。慶長4年(1599)の親忠幽閉、元親没後の関ヶ原の混乱の中での親忠切腹(久武親直の主導とされる)は、長宗我部氏改易の一因になったと『土佐物語』等は伝える。

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