〈島津義弘〉島津の退き口 — 敵中突破と生還80人余

関ヶ原で西軍崩壊後、敵中を正面突破して戦場を離脱し、伊勢路から堺・大坂を経て海路帰国したことは多数の史料で裏付けられる確実な史実。義弘自身の回想録『惟新公御自記』も残る。参加兵力は約300〜1500と諸説あるが、薩摩に帰着したのは80人余とされる。大坂では人質の宰相殿らを奪還までしている。

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