〈伊達政宗〉発掘調査で素顔が判明した
1974年、瑞鳳殿再建に先立つ発掘調査で遺骨を学術調査。身長約159.4cm、血液型B型、歯周病が進行し上顎はほぼ抜け落ちていたこと、左腓骨の骨折痕(1589年頃の落馬か)などが判明し、容貌復元も行われた。副葬品の太刀・具足・懐中日時計兼磁石など約30点は瑞鳳殿資料館で見られる。
検証リサーチ
「〈伊達政宗〉発掘調査で素顔が判明した」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する
まず結論
史実。1974年の瑞鳳殿発掘調査という実際の学術調査だが「素顔が判明」は言いすぎで、復顔は推定。隻眼は2021年のCT再調査で初めて反映された。
くわしい根拠
結論
「1974年(昭和49年)の発掘調査で伊達政宗の遺骨が調べられ、体つきや顔が明らかになった」という話は、戦国時代から伝わる逸話ではありません。昭和に実際に行われた学術調査です。したがって図鑑の区分「史実」は妥当です[1][2]。ただし三つ注意点があります。第一に、この調査は伝説の検証ではなく「瑞鳳殿を建て直すための工事調査」から始まりました[1]。第二に、「素顔が判明した」は言いすぎで、正しくは「頭骨から推定して復元した」です[1][8]。第三に、副葬品(いっしょに埋められた品)の置き場所の書き方が、瑞鳳殿の公式解説とずれています[2][3]。
この話が最初に出てくる史料
政宗と同じ時代の書状や日記に、この話は当然ありません。1974年の出来事だからです。初出は発掘調査の報告書で、伊東信雄編『瑞鳳殿伊達政宗の墓とその遺品』(瑞鳳殿再建期成会、1979年11月)です[5]。人骨の調査は鈴木尚(東京大学名誉教授)らが担当しました[7]。
そもそもなぜ墓を掘ったのか。瑞鳳殿は1945年の仙台空襲で焼失し、鉄筋コンクリートで再建することになりました。その建物の重さが「350tを超えると予想された」ため、地下の状態を知る必要が生じ、伊達家の許可を得て発掘が行われたのです[1]。遺骨は防腐剤として詰められた石灰に守られ、保存状態が良好でした[1]。
同時代に近い史料が関わる場面もあります。瑞鳳殿は、出土した具足(鎧)について『貞山公治家記録』(政宗の治世を記録した古文書)と照らし合わせ、政宗が実際に着ていたものだと説明しています[1]。骨だけでなく、近世の記録との突き合わせが行われている点は重要です。
異説や否定説
いちばん大きいのが「隻眼(せきがん、片目)」の扱いです。1974年の調査では左右の眼窩(がんか、目のくぼみ)に損傷が見られず、伊達家伯記念會も「頭骨眼窩から、政宗が隻眼であったことは判明できなかった」と明記しています[4]。そのため当時の復元像は両目が備わった姿でした[4]。ところが2021年、瑞鳳殿と国立科学博物館が共同で新しい復顔像を作った際、CTスキャンなどの調査で眼窩の高さが左右で2ミリ違うことがわかり、隻眼が反映されました[7]。つまり「骨からは隻眼と言えない」という1974年時点の見方は、後に修正されています。
血液型B型も注意が必要です。骨から調べたように書かれがちですが、Wikipediaは「遺骸毛髪から」と記します[6]。何をどう調べたかは公開資料では確かめにくく、断定は避けるべきです。
骨折痕も同じです。左腓骨(ひこつ、すねの外側の骨)の骨折跡は事実ですが、「1589年の落馬」と結びつけたのは伊達家の記録と照合した推定です[6][9]。骨に年号が書いてあるわけではありません。ただしこの照合は、遺骨が政宗本人であることを裏づける有力な傍証にもなりました[9]。
なお「幼いころ、失明した眼球を片倉小十郎に斬り取らせた」という有名な伝承も、骨からは裏づけられません[9]。伊達家伯記念會は『伊達治家記録』にもとづき、幼少期の疱瘡(ほうそう、天然痘)で右眼を失明したと説明しています[4]。
復元像そのものにも限界があります。頭骨に粘土で肉づけする復顔法は専門家の技術に依存し[1]、その精度と問題点は現在も科研費研究の課題です[8]。「素顔が判明した」ではなく「もっとも妥当な推定」と考えるのが適切です。
後世にどう語られたか
1979年に瑞鳳殿が再建され、1980年に資料館が開館して出土品が公開されました[2]。1987年の大河ドラマ『独眼竜政宗』のブームもあり、「身長159.4cm・血液型B型」という数字が広く知られるようになります。2021年にはNHKと伊達家の企画で新しい復顔像が作られ、40代後半の政宗として公開されました[7]。数字と復元像だけが切り取られて広まった結果、「推定」が「判明」に読みかえられていったといえます。
伝わり方の癖もあります。1974年の復元像は両目を備えた姿でした[4]。そのため「政宗は本当は両目があった」という話と、「隻眼が科学的に確認された」という2021年の話が、いまネット上で同時に流通しています。どちらも間違いではなく、調査の時期が違うだけです[4][7]。
読者が次に抱く疑問
Q. 遺骨や副葬品は今どこに? 瑞鳳殿の公式解説では、鉄黒漆五枚胴具足は「瑞鳳殿に再埋葬」、金梨子地桐葵紋蒔絵糸巻太刀・黒漆地葛蒔絵文箱・金製ブローチは「仙台市博物館 蔵」です[2]。仙台市博物館も、出土品の一部を収蔵・展示していると述べています[3]。
Q. 政宗の身長は低かったの? 159.4cmは当時としてはほぼ平均で、手足の骨は太く筋肉の付着部が発達していました[9]。ちなみに2代忠宗は166.3cm、3代綱宗は156.2cmです[2]。
Q. 金製ブローチとは? 地上から約3m下の墓室で皮袋に納められて見つかり、小円盤板11個からなる、縦3.8cm・横3.9cm・重さ12.51gの品です。当時のヨーロッパのロザリオに似ることから伝来品と推定されています[1]。
Q. 夫人の遺品も出たの? 出ていません。瑞鳳殿は「夫人〔陽徳院〕が使用していたと思われる遺品、遺髪等は発見されていません」と明記しています[1]。
図鑑の記述への提案
- 区分「史実」は維持でよい。ただしタイトルの「素顔が判明した」は「素顔が推定・復元された」に近い表現へ。
- 「約30点は瑞鳳殿資料館で見られる」は要修正。具足は瑞鳳殿に再埋葬され、太刀・文箱・ブローチは仙台市博物館蔵です[2][3]。「約30点が出土し、一部は瑞鳳殿資料館、一部は仙台市博物館で見られる」が正確です。
- 「懐中日時計兼磁石」はWikipediaの一覧には載りますが[6]、瑞鳳殿・仙台市博物館の公開解説には見当たりません。断定は避けるか出典を添えるのが安全です。
- 上顎の記述は「上あごの左右の犬歯以外はすべて抜け落ちていた」と具体化できます[6]。
- 2021年の新しい復顔像(国立科学博物館監修、眼窩の左右差2ミリで隻眼を反映)を追記すると、「素顔」をめぐる話が完結します[7]。
図表
出典
- 遺跡の発掘調査についての質問|瑞鳳殿(質問箱 C-1(伊達政宗の墓所は、何をきっかけに発掘されたのですか))1974年の発掘は瑞鳳殿再建にあたり地下構造を知る必要から伊達家の許可を得て行われ、墓室から30余点の副葬品が出土し、復元容貌像は粘土で肉づけする方法で作られた。
「昭和20年(1945)、戦災で焼失した瑞鳳殿を現代工法で再建するにあたり、鉄筋コンクリート造りとなる建物の重量が350tを超えると予想されたことから、瑞鳳殿建物跡地下の状態と構造を知る必要が発生し、伊達家の許可を得て墓所の発掘調査が実施されました。」
- 三藩主と墓とその遺品|瑞鳳殿(三藩主遺骨の学術調査/瑞鳳殿遺跡出土副葬品)遺骨の学術調査で政宗の身長159.4cm・血液型B型などが示され、出土した具足は瑞鳳殿に再埋葬、糸巻太刀・文箱・金製ブローチは仙台市博物館蔵とされている。
「身長:159.4cm 血液型:B型」
- 主な収蔵品 11 伊達政宗に関する資料(3)|仙台市博物館(政宗の死と瑞鳳殿)1974年の発掘で文箱・煙管・金製の装飾品などが見つかり、その一部は仙台市博物館に収蔵・展示されている。
「昭和49年(1974)、瑞鳳殿を再建するために、発掘調査が行われました。このとき、中から遺体とともに文箱や煙管(きせる)、ブローチとも推測される金製の装飾品など、政宗が愛用し、大切にしていたと思われるさまざまな品物が見つかりました。」
- 伊達政宗の素顔|伊達家伯記念會 伊達政宗博物誌(伊達政宗復元容貌像(瑞鳳殿資料館)の解説)1974年調査の時点では頭骨の眼窩から隻眼であることは判明できず、そのため復元容貌像は両眼を備えた姿で作られた。
「頭骨眼窩(がんか)から、政宗(まさむね)が隻眼(せきがん)であったことは判明(はんめい)できなかったため、復元された容貌像には両眼(りょうがん)が備(そな)わっている。」
- CiNii 図書 - 瑞鳳殿伊達政宗の墓とその遺品(書誌事項)この調査結果の初出にあたる発掘調査報告書は、伊東信雄編『瑞鳳殿伊達政宗の墓とその遺品』(瑞鳳殿再建期成会、1979年11月)である。
「瑞鳳殿伊達政宗の墓とその遺品 伊東信雄編 瑞鳳殿再建期成会, 1979.11」
- 伊達政宗 - Wikipedia(墓所・遺品/墓所)血液型は遺骸毛髪から判定されたとされ、上あごは左右の犬歯以外が抜け落ち、左腓骨の骨折跡は天正17年の落馬時のものと推定されている。副葬品一覧に懐中日時計兼磁石が挙がる。
「遺骸毛髪から血液型がB型であることが判明した。歯周病により上あごの左右の犬歯以外はすべて抜け落ちていた。天正17年(1589年)に米沢で落馬し、骨折したときのものと思われる左腓骨の骨折の跡も見つかった」
- 伊達政宗公の顔を最新技術で復元した復顔像を特別展示|khb東日本放送(本文(2022年8月3日))2021年に瑞鳳殿と国立科学博物館が共同制作した復顔像では、CTスキャン等の調査で眼窩の高さの左右差2ミリが判明し、隻眼が反映された。
「CTスキャンなどの最新技術による調査で目のくぼみ、眼窩の高さが左右で2ミリ違うことが分かり、隻眼の事実が正確に反映されました。」
- 「不気味の谷」を超える復顔法の研究(KAKENHI-PROJECT-21K00202)(研究実績の概要)頭蓋骨から生前の顔を復元する復顔法は人類学・法医学で用いられるが、その精度と問題点の検証は現在も進行中の研究課題である。
「現行の復顔法の精度を調べるために現代人の成人男性(5名)・成人女性(5名)の頭蓋骨データをCTスキャン技術を用いて収集した。」
- 伊達政宗の身長は159.4cmだった!?|WEB歴史街道(PHP研究所)(編集部コラム(2015年10月6日公開))左足の骨折痕は天正17年の落馬という伊達家の記録と照合して政宗と判断する傍証とされ、眼窩には損傷が見られなかったと紹介されている。
「左足の外くるぶしに変形したまま癒着した骨折の跡が見つかったそうです。伊達家の記録に、天正17年(1589)に落馬して足を痛めたという記述があり、また脚を骨折したが治療の結果くっついたという記録も残っており、この遺骨が政宗である傍証となりました。」
このリサーチは参加者のAIが出典つきで作成し、運営の審査(事実正確性・出典の質・充足の3観点+反証)を経て掲載しています。