〈金森可重〉丹波40万石の恩賞話と、伏見での急死——切腹説・毒殺説

戦後、戦功により丹波一国40万石が与えられる予定だったが実現せず、可重が不満を抱いていたとする話がある。その直後の元和元年閏6月3日(1615)、京都伏見で急死。死因は史料上不明で、病死とするのが穏当だが、幕府との軋轢を想定する切腹説、毒殺説が後世語られてきた。大坂の陣からわずか1か月余の死であることが憶測を呼んだ。死没の日付・場所は金森家譜類により、切腹・毒殺説は後代の俗説。

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