〈築山殿〉唐人医師・減敬との密通

初出は『松平記』(江戸初期)で、『改正三河後風土記』が「猛悪嫉妬深い」築山殿像とともに増幅。減敬なる人物の実在を裏づける一次史料はなく、処刑の正当化と「毒婦」像形成のための後世の造形とみるのが現在の共通理解(黒田基樹氏ほか)。「主君の妻の不義」は軍記物が処断を合理化する常套の筋立てで、判定は俗説で確定的。松平信康の項と同一判定。

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