〈甘粕景継〉「死罪になりかけた」「兼続配下に左遷され冷遇された」

江戸期軍記物由来で、一次史料からは実証できない。反証は慶長12年(1607)の「侍組禄席掌故」——景継は藩最上位身分「侍組」の一員として6,600石を維持している。120万石から30万石への移封に伴う減封はほぼ比例的で、処罰的減封の形跡はない。神指城普請への関与は築城技術を買われた起用として自然で、冷遇の証拠にはならない。

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