〈猪俣邦憲〉【目玉】戦後に処刑された?

「戦犯」イメージから処刑されたと語られることがあるが、処刑の記録は存在しない。小田原開城後に切腹を命じられたのは氏政・氏照・大道寺政繁・松田憲秀であり、邦憲は含まれない。実際は弟・富永助重とともに前田利家に保護・仕官し、慶長10年(1605)に嫡男が加賀藩での遺領を相続した記録が残る。初出は加賀藩士系譜史料(『先祖由緒并一類附帳』類)。

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