〈小田政治〉堀越公方・足利政知の落胤だった

初出は小田氏関係の後世系譜類。政知の没年(1491)と政治の生年は辛うじて重なるが、享徳の乱以来一貫して古河公方方だった小田氏が、その敵対者・堀越公方から養子を迎えるとは考えにくい(『戦国武将列伝2』の整理)。名門の血引きを飾る系譜粉飾の典型とみるのが趨勢。ただし完全否定の決定打もない。

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