〈相馬盛胤〉存亡の岐路の父子問答と「妙見御神水の誓い」
1590年、服属を説く盛胤に義胤が「政宗如き年下の者に従うくらいなら潔く討死する」と拒否し、盛胤も同調して切腹を表明。義胤は小高の妙見社で起請文の灰を御神水に混ぜて全員に飲ませ死を誓わせた——という場面は『奥相茶話記』など相馬側編纂物が典拠で、同時代史料の裏付けはない(誓約者数も2000人余・3500人余と伝により異なる)。ただし存亡の危機と秀吉による救済という枠組みは史実。御神水の井戸と伝わるものが小高城跡に現存する。
1590年、服属を説く盛胤に義胤が「政宗如き年下の者に従うくらいなら潔く討死する」と拒否し、盛胤も同調して切腹を表明。義胤は小高の妙見社で起請文の灰を御神水に混ぜて全員に飲ませ死を誓わせた——という場面は『奥相茶話記』など相馬側編纂物が典拠で、同時代史料の裏付けはない(誓約者数も2000人余・3500人余と伝により異なる)。ただし存亡の危機と秀吉による救済という枠組みは史実。御神水の井戸と伝わるものが小高城跡に現存する。