〈相馬盛胤〉「領内に伊達軍を一兵も入れなかった」

ゲーム攻略サイトやファン記事に流通する定型句だが、明確な誇張。実際には小島(1568)・座流川(1575頃)で敗北し、永禄6年(1563)には内応者の手引きで伊達勢が領内(礒部城)へ侵入、1589–90年には駒ヶ嶺・新地から中村城下(潼生淵)まで攻め込まれている。ただし三代の伊達当主と半世紀戦って本領中核を保ったこと自体は史実で、義胤の言と伝わる自負(『奥相茶話記』系)が評の源流。誇張だが、核心の粘り強さは本物である。

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