〈大野治長〉「無能な佞臣」だった
この評価は徳川の治世下で形成された。大坂の陣を「豊臣の自滅」と語る枠組みの中で、治長は(1)密通者、(2)且元を追った奸臣、(3)浪人衆の献策を退けた愚将として『明良洪範』『難波戦記』系統の諸書に描かれ、真田幸村ら「悲劇の名将」を引き立てる敵役として講談・小説に固定化された。初出はいずれも後世の編纂物である。
この評価は徳川の治世下で形成された。大坂の陣を「豊臣の自滅」と語る枠組みの中で、治長は(1)密通者、(2)且元を追った奸臣、(3)浪人衆の献策を退けた愚将として『明良洪範』『難波戦記』系統の諸書に描かれ、真田幸村ら「悲劇の名将」を引き立てる敵役として講談・小説に固定化された。初出はいずれも後世の編纂物である。