〈大野治長〉淀殿と密通し、秀頼の実父だった

噂の存在自体は同時代から確認できる(内藤隆春書状1599年、『多聞院日記』)。だが「秀頼は治長の子」と明記したのは江戸中期の逸話集『明良洪範』で、同書は淀殿と歌舞伎役者の不義まで書く信頼性の低い書物。姜沆『看羊録』の記事も風聞収録の域を出ない。桑田忠親氏は江戸期の劇作者的創作と断じ、「実父=治長」を支持する史料的根拠は皆無。豊臣家を貶める徳川時代の言説環境で増幅された風説とみるのが学界の大勢である。

関連

〈大野治長〉淀殿と密通し、秀頼の実父だった | デジタル城下町 お城図鑑