〈浅野幸長〉蔚山で撃ち続けた「狐筒」
幸長自ら火縄銃を撃ち続け、銃身が焼き付いて狐色に変色した銃が「狐筒」として家宝になった——という話は浅野家の家伝・後世の顕彰資料に由来し、一次史料では確認できない。ただし砲術家・稲富一夢に師事し「天下一」と称された鉄砲の名手だったこと自体は人名事典類にも採られる伝承で、大名自ら射撃した可能性は否定できない。初出:浅野家伝承(『浅野荘と浅野氏』系統)。
幸長自ら火縄銃を撃ち続け、銃身が焼き付いて狐色に変色した銃が「狐筒」として家宝になった——という話は浅野家の家伝・後世の顕彰資料に由来し、一次史料では確認できない。ただし砲術家・稲富一夢に師事し「天下一」と称された鉄砲の名手だったこと自体は人名事典類にも採られる伝承で、大名自ら射撃した可能性は否定できない。初出:浅野家伝承(『浅野荘と浅野氏』系統)。