〈竹中半兵衛〉「今孔明」と呼ばれた
同時代史料に「今孔明」の呼称はない。半兵衛を孔明に擬えた早い例は、遺児・重門が著した『豊鑑』(1631年頃)の記述——つまり息子による父の顕彰である。呼称を世間に定着させたのは『絵本太閤記』など近世後期の通俗文芸で、講談・立川文庫を経て「天才軍師」像の核となった。孔明擬えは山本勘助らにも使われた一般的修辞でもある。
同時代史料に「今孔明」の呼称はない。半兵衛を孔明に擬えた早い例は、遺児・重門が著した『豊鑑』(1631年頃)の記述——つまり息子による父の顕彰である。呼称を世間に定着させたのは『絵本太閤記』など近世後期の通俗文芸で、講談・立川文庫を経て「天才軍師」像の核となった。孔明擬えは山本勘助らにも使われた一般的修辞でもある。