〈竹中半兵衛〉秀吉が「三顧の礼」で口説き落とした

栗原山に隠棲する半兵衛のもとへ藤吉郎が三顧(七度とも)の礼を尽くしたという物語は、同時代史料に一切みえない。型は『三国志演義』の劉備・孔明の翻案で、『甫庵太閤記』の招聘譚を原型に『絵本太閤記』(1797–1802刊)で完成・普及した。実際には斎藤氏滅亡前後に竹中氏が織田方へ属し、重治は秀吉の与力(寄騎)として配属されたとみるのが実証的理解である。

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