〈成田甲斐〉忍城で武装して出撃した

鎧兜に名刀「浪切」を帯び200余騎で出撃したとする描写の初出は『成田記』(1814年頃)— 戦いの約220年後の軍記である。同時代の秀吉・三成・浅野長政書状に甲斐姫の名は一切現れない。ただし黒田基樹は「氏長留守中の居城防衛に奮戦」が複数所伝に見える点を認めており、籠城への関与という核までは否定できない。

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