〈山県昌景〉身長130cmの小男だった
小柄の伝承自体は近世の『校合雑記』が「袴腰と頭との間、僅か四・五寸ならでは無き程の小男にて、不器量なれども……『信玄の小男出たり』と恐怖しける程の侍大将」と記す。だが同書は江戸期の雑録であり、「130〜140cm」という具体的数値はこの記述から近現代に一人歩きしたもので一次史料の裏付けはない。兎唇(口唇裂)説も同時代史料では確認できない。数値ではなく「小さな体で最強部隊を率いた」というギャップの物語として読むべき伝承である。
小柄の伝承自体は近世の『校合雑記』が「袴腰と頭との間、僅か四・五寸ならでは無き程の小男にて、不器量なれども……『信玄の小男出たり』と恐怖しける程の侍大将」と記す。だが同書は江戸期の雑録であり、「130〜140cm」という具体的数値はこの記述から近現代に一人歩きしたもので一次史料の裏付けはない。兎唇(口唇裂)説も同時代史料では確認できない。数値ではなく「小さな体で最強部隊を率いた」というギャップの物語として読むべき伝承である。