〈小早川秀秋〉正午まで迷い、問鉄砲で決心した

通説の枠組み自体が『関原軍記大成』(1713)など後世軍記の構成物。問鉄砲は藤本正行氏が1984年に「当時の信頼できる史料で裏付けられない」と否定し、「東軍の一武将が撃った」逸話が『黒田家譜』以降「家康の指示」へ肥大化した形成過程も追跡されている(白峰旬氏)。当サイト石田三成ページと同一判定。

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