〈宇喜多秀家〉小早川秀秋への「突撃未遂」

裏切りを知った秀家が松尾山へ斬り込もうとして明石全登に止められた逸話は、『関原軍記大成』など後世の軍記が初出で同時代史料にない。なお家康の「問鉄砲」自体も白峰旬氏らにより後世の創作の可能性が高いとされる。宇喜多隊1万7000が福島正則隊と激闘したこと自体は史実。

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