〈伊達輝宗〉粟之巣の変事 — 「政宗が父もろとも撃った」説

拉致と両者死亡は史実だが、「政宗自ら撃った」説の確認できる最古の典拠は約100年後の元禄期軍記『奥羽永慶軍記』で、同時代史料ではない。伊達家記録は「政宗到着は全て終わった後」とし、会津側『会津旧事雑考』は義継が刺殺したとする。史実として言えるのは「伊達勢の銃撃で両者が死亡した。政宗の現場関与は確定できない」まで。

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