〈徳川家康〉関ヶ原の「問鉄砲」

白峰旬氏の研究により、一次史料に見えず江戸中期以降の軍記で成長した脚色と指摘される。慶長5年9月17日付の連署状やイエズス会日本報告集から、小早川秀秋は開戦とほぼ同時に寝返っており、「正午まで迷った」という前提自体が成り立たない。

関連