〈菅沼忠久〉井伊直政に附属された

『寛永諸家系図伝』・彦根藩『侍中由緒帳』は天正3年(1575)の附属とするが、『寛政譜』は天正12年(1584)とし、小宮山敏和氏は天正10年頃まで関係は明確でないとする。附属後も三人衆は従来の知行地を保持し、直政とは主従ではなく同じ家康に仕える与力・同心の関係だったと研究は指摘する。忠久自身は(天正10年没説では)直政隊の初陣・長久手以前に没しており、実際に直政麾下で戦ったのは子の忠道である。

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