〈菅沼忠久〉「井伊谷三人衆」という呼び名はいつ生まれたか
『寛政譜』近藤家譜は、遠江平定後に三人が「武田の押さえ」として山吉田に配置されたことをもって「井伊谷の三人衆」と呼んだと記す。黒田基樹氏は家康の遠州進攻後の井伊谷占領・支配から称されたとし、野田浩子氏は井伊衆与力としての前史を重視する。同時代文書で「井伊谷三人衆」の語は確認されておらず、後世の用語とみるのが穏当。初出=『寛政譜』巻第八百四十二「近藤」。
『寛政譜』近藤家譜は、遠江平定後に三人が「武田の押さえ」として山吉田に配置されたことをもって「井伊谷の三人衆」と呼んだと記す。黒田基樹氏は家康の遠州進攻後の井伊谷占領・支配から称されたとし、野田浩子氏は井伊衆与力としての前史を重視する。同時代文書で「井伊谷三人衆」の語は確認されておらず、後世の用語とみるのが穏当。初出=『寛政譜』巻第八百四十二「近藤」。