〈駒井政武〉甲相駿三国同盟の立役者だった
確実なのは河東の乱の調停周旋(1545)と義信・嶺松院の縁談約定(1552)で、いずれも同盟の「甲駿」部分の基礎工事にあたる(『高白斎記』)。だが同盟成立(1554)前後の活動は記事終了(1553)後で史料がなく、「締結させた立役者」は拡大解釈。駿河側の太原雪斎の役割も大きく、武田側の取次実務者の一人と位置づけるのが穏当。
確実なのは河東の乱の調停周旋(1545)と義信・嶺松院の縁談約定(1552)で、いずれも同盟の「甲駿」部分の基礎工事にあたる(『高白斎記』)。だが同盟成立(1554)前後の活動は記事終了(1553)後で史料がなく、「締結させた立役者」は拡大解釈。駿河側の太原雪斎の役割も大きく、武田側の取次実務者の一人と位置づけるのが穏当。