〈菊池義武〉「菊池氏最後の当主」という枠組み
義武の死で大名としての肥後菊池氏が終焉したことは動かない。ただし義武が大友出身である以上、「菊池氏は実質的には能運(1504年没)ないし武包で終わっており、義武の代は大友氏による肥後支配の一形態だった」とする見方も研究上有力。阿蘇品保夫『菊池一族』は一族500年の掉尾としてこの時期を位置づける。
義武の死で大名としての肥後菊池氏が終焉したことは動かない。ただし義武が大友出身である以上、「菊池氏は実質的には能運(1504年没)ないし武包で終わっており、義武の代は大友氏による肥後支配の一形態だった」とする見方も研究上有力。阿蘇品保夫『菊池一族』は一族500年の掉尾としてこの時期を位置づける。