〈島津家久〉「釣り野伏せ」の名手だった

大口城・沖田畷・戸次川のいずれも「誘引→伏兵」の構図が諸記録から読み取れ、家久がこの型を繰り返し用いて大戦果を挙げたことは史実。ただし「釣り野伏せ」という体系的な戦術名が同時代の一次史料で定式化されていた証拠はなく、名称は近世の薩摩藩系軍記・編纂物で定着したもの。戦術名の後世性と、用兵の巧みさ(実績)は分けて語るのがフェア。

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