〈金森可重〉長男重近(宗和)を大坂の陣出陣当日に廃嫡した
慶長19年(1614)冬の陣に際し、徳川方としての出陣に異議を唱えた長男重近を、可重は出陣当日に勘当・廃嫡したと伝えられる。明確な理由を記す一次史料はなく、(1)豊臣方への同情・従軍拒否説(大坂方への内通疑いを避けたとみる読み方につながる)、(2)家中の主導権や器量をめぐる不和説などがある。重近は母とともに京へ退いて出家し「宗和」と号した。初出文献は金森家譜類、検討は谷晃『金森宗和 異風の武家茶人』(2013)。
慶長19年(1614)冬の陣に際し、徳川方としての出陣に異議を唱えた長男重近を、可重は出陣当日に勘当・廃嫡したと伝えられる。明確な理由を記す一次史料はなく、(1)豊臣方への同情・従軍拒否説(大坂方への内通疑いを避けたとみる読み方につながる)、(2)家中の主導権や器量をめぐる不和説などがある。重近は母とともに京へ退いて出家し「宗和」と号した。初出文献は金森家譜類、検討は谷晃『金森宗和 異風の武家茶人』(2013)。