〈姉小路頼綱〉実弟・鍋山顕綱夫妻を刺客に殺させた
『飛州志』等による。天正11年(1583)、実弟・顕綱に「謀計」の嫌疑(秀吉への内通とも)をかけ、刺客により妻もろとも暗殺させたとされる。顕綱自身も義父・鍋山安室を毒殺して城を奪ったと伝わる権謀の人。嫌疑の真偽を判定できる史料はないが、直後に顕綱与党の牛丸・広瀬氏らが討滅されており、飛騨統一の総仕上げとしての計画的粛清と見る解釈が有力。
『飛州志』等による。天正11年(1583)、実弟・顕綱に「謀計」の嫌疑(秀吉への内通とも)をかけ、刺客により妻もろとも暗殺させたとされる。顕綱自身も義父・鍋山安室を毒殺して城を奪ったと伝わる権謀の人。嫌疑の真偽を判定できる史料はないが、直後に顕綱与党の牛丸・広瀬氏らが討滅されており、飛騨統一の総仕上げとしての計画的粛清と見る解釈が有力。