〈戸田勝成〉最期 — 討ったのは織田長孝か津田信成か

通説は織田長孝。『武家事紀』は、長孝が槍を合わせ家臣らが組み伏せて首を取る際、津田信成家臣が首を奪おうとして喧嘩になり「相打ち」で収めたと生々しく記す。一方『大日本史料』所収記録には討ったのは津田信成とする異説がある。長孝が勝成討ち取りの功で戦後1万石加増されたことは論功の記録と整合する。

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