〈山本勘助〉『甲陽軍鑑』は勘助の子孫の覚書がもとになった
初出は田中義成の明治期論考。田中は軍鑑の勘助記事を「子(僧)の覚書による顕彰」と推定した。近年は酒井憲二らの国語学的研究により『甲陽軍鑑』自体の史料価値の見直しが進み、高坂昌信(春日虎綱)の口述を核とする原本の存在を認める立場も有力になっている(高坂昌信ページ参照)。軍鑑の成立論は現在も議論が続く。
初出は田中義成の明治期論考。田中は軍鑑の勘助記事を「子(僧)の覚書による顕彰」と推定した。近年は酒井憲二らの国語学的研究により『甲陽軍鑑』自体の史料価値の見直しが進み、高坂昌信(春日虎綱)の口述を核とする原本の存在を認める立場も有力になっている(高坂昌信ページ参照)。軍鑑の成立論は現在も議論が続く。