〈築山殿〉首は石川数正が持ち帰った — 首塚と胴の廟の分離
首は信長の実検(あるいは家康の確認)の後、数正が岡崎へ持ち帰り祐傳寺に葬られ、正保3年(1646)に八柱神社へ改葬、胴は浜松・西来院に葬られ月窟廟が営まれた——と伝わる。首塚(岡崎)と廟(浜松)が分かれて現存し分離供養の事実は確かだが、「数正が持ち帰った」「信長の実検を経た」という細部は寺社伝承・地誌の域を出ない。石川数正の項と整合。
首は信長の実検(あるいは家康の確認)の後、数正が岡崎へ持ち帰り祐傳寺に葬られ、正保3年(1646)に八柱神社へ改葬、胴は浜松・西来院に葬られ月窟廟が営まれた——と伝わる。首塚(岡崎)と廟(浜松)が分かれて現存し分離供養の事実は確かだが、「数正が持ち帰った」「信長の実検を経た」という細部は寺社伝承・地誌の域を出ない。石川数正の項と整合。