〈築山殿〉殺害の経緯 — 家康の命令か、独断か、自害か

護送役の野中重政・岡本時仲(石川義房を加える伝も)が死なせたことは動かないが、(a)家康の殺害命令があった、(b)自害を勧めよとの命を拒んだため重政が独断で斬った、(c)自ら懐剣で喉を突き介錯された、と諸伝が分かれる。「重政の独断に家康が不興を示した」後日譚は『改正三河後風土記』系統で、家康の責任を軽くする曲筆の可能性が指摘される。近年の研究は「家康の意思(少なくとも容認)による処断」とみるが、自害説も含め併記が妥当。

関連

〈築山殿〉殺害の経緯 — 家康の命令か、独断か、自害か | デジタル城下町 お城図鑑