〈青山忠成〉蟄居は政治的粛清だった
罠の一件は口実で、本多正信・正純父子との主導権争いや、大御所家康による秀忠側近への牽制が背景とする説。直接証拠はないが、(1)処分がごく短期間で解かれ、(2)同年中に播磨守改称と1万石加増という厚遇で終わり、(3)以後の幕政の実権が本多正信系に集中していくことから、単純な「勘気」では説明しきれないとする見方がある。
罠の一件は口実で、本多正信・正純父子との主導権争いや、大御所家康による秀忠側近への牽制が背景とする説。直接証拠はないが、(1)処分がごく短期間で解かれ、(2)同年中に播磨守改称と1万石加増という厚遇で終わり、(3)以後の幕政の実権が本多正信系に集中していくことから、単純な「勘気」では説明しきれないとする見方がある。