〈服部正重〉長安事件で「関わりなし」とされながら、出雲崎の出迎えで改易
初出は『干城録』『寛政重修諸家譜』。慶長18年(1613)の大久保長安事件では長安の男子7人が全員切腹、青山成重・石川康長ら縁座の改易が相次いだ。娘婿の正重は当初咎めなしとされ佐渡執務の継続を命じられたが、幕府の目付を佐渡で待たず越後出雲崎へ出向いて迎えたことを咎められ改易された。「些事による改易」であり、事実上の連座的処分(長安縁戚の要職からの排除)とみる理解が一般的。切腹に至らなかった点は、他の縁座者と比べれば軽微な扱いだった。