〈松平信康〉【最大の論点2】家康・信康父子対立説
『信長公記』諸本で最も古態を残すとされる『安土日記』は「家康并びに年寄衆……八月四日に三郎殿を国端へ追い出し申し候」と記し、「家康と重臣団が信康を追放した」と読める。柴裕之・平山優・黒田基樹らは、対武田路線の対立、大岡弥四郎事件以来の岡崎家臣団の動揺、浜松派と岡崎派の家中対立を背景に挙げる。「家康主導(信長は追認)」の枠組みはほぼ通説化しつつあるが、対立の具体的争点はなお見解が分かれる。
『信長公記』諸本で最も古態を残すとされる『安土日記』は「家康并びに年寄衆……八月四日に三郎殿を国端へ追い出し申し候」と記し、「家康と重臣団が信康を追放した」と読める。柴裕之・平山優・黒田基樹らは、対武田路線の対立、大岡弥四郎事件以来の岡崎家臣団の動揺、浜松派と岡崎派の家中対立を背景に挙げる。「家康主導(信長は追認)」の枠組みはほぼ通説化しつつあるが、対立の具体的争点はなお見解が分かれる。