〈結城秀康〉死因は梅毒だった
同時代史料『当代記』に「日来唐瘡相煩、其上虚成」とあり、「唐瘡」=当時の梅毒の呼称。渡邊大門氏ら研究者も梅毒説を採る有力説である。ただし典医・曲直瀬玄朔『医学天正記』は下痢・発熱も記録し、複数の病が重なっていたとみられる。「鼻が欠けたため木像に鼻を補った」という話は後世の伝えで確証はない。
同時代史料『当代記』に「日来唐瘡相煩、其上虚成」とあり、「唐瘡」=当時の梅毒の呼称。渡邊大門氏ら研究者も梅毒説を採る有力説である。ただし典医・曲直瀬玄朔『医学天正記』は下痢・発熱も記録し、複数の病が重なっていたとみられる。「鼻が欠けたため木像に鼻を補った」という話は後世の伝えで確証はない。