〈北条高広〉嫡男・景広は「鬼弥五郎」と呼ばれた勇将
北条景広(弥五郎)は謙信晩年の側近くで活躍し、その勇猛から「鬼弥五郎」と称されたと伝わる(軍記・後世編纂物由来)。御館の乱では景虎方の主力として戦い、天正7年(1579)2月、景勝方の荻田長繁に討たれた(重傷を負いのちに死亡したとする伝えもある)。
北条景広(弥五郎)は謙信晩年の側近くで活躍し、その勇猛から「鬼弥五郎」と称されたと伝わる(軍記・後世編纂物由来)。御館の乱では景虎方の主力として戦い、天正7年(1579)2月、景勝方の荻田長繁に討たれた(重傷を負いのちに死亡したとする伝えもある)。